ペイントの趣味部屋

メーカーの開発職、育休経験ありの30代男性が「仕事」や「育児」の悩みを中心に「不安な気持ちが楽になる情報」を発信しています。

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メーカーの開発職、育休経験ありの30代男性が

趣味についてだらだら語ります

私の愛すべきゲーム。そして願望。

この雰囲気を映画にしてもらえないかな。

 

目次

 

小学校時代の思い出

このブログを読んで久しぶりに思い出したので書きたいと思います。

共感しちゃった。

text.sanographix.net

 

皆さんはタイピングをどこで学びましたか?

私はゲームで学びました。

上記のSANOGRAPHIXさんと同じように同じゲームで学びました。

そのゲームの名前は

 

ザ・タイピング・オブ・ザ・デッド」(以後TOD)

 

以前にブログで書かせてもらったゲーム「ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド2」のタイピング版。

 

paintster.hatenablog.com

 

ただ、詳細はSANOGRAPHIXさんのブログ内容がわかりやすくて面白いのでそちらをご覧ください。。

 

小学校の頃、このゲームの世界観に超絶ハマってしまい、

じゃんじゃんタイピングでゾンビを五体不満足にしていました。

その数は私の「友達×1000」くらいです。

 

 このゲームを作った人は今何をしているのかな?

このゲームは雰囲気が最高です。

どういう教育を受ければこんな雰囲気の物語を作ることができるんでしょう。

そんな人を追いかけてみました。

 

セガのどの部署が作ったか?

まずはウィキペディ~アさんからの証言です。

ザ・ハウス・オブ・ザ・デッド(以後HOD)シリーズはセガの「第一研究開発本部」で作製されたようです。

ではこの第一研究開発本部とやらを調べてみましょう。

 

・第一研究開発本部

この名前は今の部署名なんでしょうか、当時は「AM1研」と呼ばれていたようです。

「AM1研」の小田隆志さんがこのゲームのディレクターとのことです。

ありがとうウィキペディ~ア。あなたは私の数少ない親友です。

当時AM2研が「バーチャコップ」を作っていて、その影響で作ったとのことです。

バーチャコップも面白いですが、臨場感たるものはHODが遥にすごい。

第一研究所という名前だけあって精鋭揃いなんでしょうか?

ともあれ小田さんという方は才能の塊だったのでしょう。

 

・小田隆志さん

小田さんの情報がネットに落ちていない、、、

公式のインタビューもあったようですが見つからず、、。

なので渋々下記のファンサイト?から抜粋してご紹介。

thehouseofthedead.fandom.com

インテリアデザインを学ばれていたようですね。どうりでセンスがいいわけです。

1992年にSegaに入社。

ジョイポリス等のアーケードゲームの開発に携われたとのことで

入社当初からアーケードに揉まれていたんですね。どうりでセンスがいいわけです。

 

1994年にHOD開発に着手。

映画「セブン」(1995)と漫画「ブラックジャック」に影響を受けて作製されたとのこと。

「セブン」は小説で読んだのですが、そう言われてみれば確かにHODに似ているかも。。

デブが食欲垂れ流しで殺されていたり、目を隠されて吊し上げられていたり、、

殺害されている人たちとHODの敵が似ているような気がします。

 

小田さんはHOD4まで開発に携われて、シークレットダウンでは音楽をご担当。

ずっとHOD漬けだったんですね。

 

TODとの関係

小田さんに関わる記事を調べているのですが

TODに関わったという情報がありません。

あのゲームは外伝的な存在として

深くは関わらなかったのでしょうかね、、。

 

ご本人はおっしゃっています。

上記を調べているうちに

こんな記事を発見。

セガ第一研究開発本部 〜 セガの考えるゲームプランナーとは? R&D1運営室 企画統括マネージャー 小田隆志氏の場合 - キャリア・ラボラトリー

 

そしてここには小田さんのこんなコメントが!

ゲームプランナーは映画監督みたいな仕事です。

※小田さんの役職はプランナー

 

この文章を見て私は願望したい。

是非映画を作ってください!

 

小田さんは同じ記事の中で

「ゲームを作り始めると映画とかは見なくなります。影響されちゃうので。」

とおっしゃています。

つまり小田さんのオリジナリティが追求されるわけです。

 

こんなこだわりを追求してもらって新しい楽しみ方の映画を作ってくれないかなー。

 

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